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美術・イラスト・アニメーションコース1年生 春期宿泊研修を終えて
豊かな海は豊かな森によって形成される。
深い緑と澄み渡った空気に包まれた奈良県吉野の川上村はその豊かな海にとって大切な水を保全するために森を買い取っている。
また、その一方で林業の衰退や人為的な介入による動植物たちの生態系への影響も深刻になっている。
彫刻家の松本鐵太郎先生の、柔らかい表情から伝えられた「森は死につつある」という言葉に私自身も衝撃を受けた。
多分彼女達は宮崎駿監督の作品の映画で、この事象に近い場面を多く目にしているが、この豊かに見える自然が現実にどのような状況にあるのかを聞かされると大変驚いたのではないだろうか。
昨今環境問題が大きく取り上げられる中で、経済優先の資本主義国家の根本は大きくは揺るがない。しかし、現実を知った上で一つ一つの物事について、自分自身の身近な事として捉えるのは大切なことである。
松本先生は以前大阪に住んでおられたが、川上村に移り住み自然と共に生き、自然と対話しながら自然からの恵みを素材に作品を制作されている。
我々がアトリエを訪問させていただいたときも、急遽生徒達に黒文字の枝を手に取らせ、「小さなふくろうでも作ってみるか?」と声をかけていただいた。
そのとたん、今までの張りつめた空気が急に和らいで、生徒達はふくろうの携帯ストラップ制作に熱中していた。

前日同様天気は回復しないままであったが、翌日の午前よりクラスの前・後半2班に分かれ、陶芸と七宝焼きのワークショップを行った。
  当然美術に興味のある生徒ばかりであるので、それぞれあまり迷うことなく、自分自身の思いを作品にぶつけ、形にしていった。

 生憎、天気には恵まれなかったが、多感な十代の時期に吉野の大自然の懐に抱かれ、作家の先生方のお話に耳を傾け、作品を鑑賞したり制作することは、理屈抜きに若い彼女たちの心に大きな財産を残したに違いない。
  そして、創造することは自己を表現すること。すなわち他者を認め自分自身も見つめるということ、強いては大自然に感謝し共に生きるということを生徒と共に私自身も学んだ気がする。

 

高校に入って初めての宿泊研修。とても短い二日間だったけれど、すごくたくさんの事を学べたように思います。
私は、芸術家の方々が住み込みで作品などを作り、生活をしていることに、すごく驚きました。
美術館などにあまり行った事がなかったのでギャラリー見学はとても新鮮でした。陶芸や洋画や日本画たくさん色々な作品がありましたが、私が中でも気になった作品は、一つ目は小西保文先生の「無聊」です。ギャラリーの階段を下りてすぐの所に飾っていたのですが、もちろんその他の作品も飾ってあったのですが、私は何でかその絵ばかりを見ていました。すごく絵の中の人の表情がリアルで、本当に絵の中の人が感情があって、その絵から凄く思いを感じたように思いました。私は初め「無聊」というタイトルの意味を知らなくて家に帰って来て、すぐに「無聊」という言葉の意味を調べました。「無聊」とは、退屈なことを意味する言葉なのだと分かって、「ああ!そういう意味なんだ!」とも思えるけど私はその意味を知ったうえで、もう一度、「無聊」を見てみたいなと思います。そうしたら、もっと違う面が見れる様な気がするからです。また、機会があれば見に行きたいなと考えています。
二つ目は、日本画家岸上ゆか先生の「源流Ⅱ」です。この作品は大きさにも驚いたけど、色がとても綺麗ですごく惹かれました。絵の雰囲気や色使いや中心にある大きな木全部にインパクトがあって、すごく強い印象を受けました。上の空の色、下の地の色が、私には光と闇に感じるくらいに、真逆なのに、それがとても綺麗でした。木を中心に色々な世界観を見れたように感じました。
三つ目は、陶芸家の鈴木智子先生の「ピッチャー型の花入れ」です。ピッチャー型の花入れにはすごく愛情を感じました。自分が何でそう感じたかは分からないけど、花が入れば、花もとても輝くんじゃないかなと感じました。
どの作品も作者さんの世界が見え、凄いなと感じました。

私は宿泊研修で、奈良県の吉野匠の聚へ行った。
一日目は、ギャラリー見学で色々な彫刻や絵画を見た。その中でも印象に残ったものがいくつかあった。
最も印象に残った作品は、日本画家の岸上ゆか先生が描いた「源流Ⅱ」だ。この作品を見た時、私は思わず釘付けになってしまった。私達がいつも想像している薄暗く、気味の悪い森ではなく、一筋の光が差し込んでいてとても幻想的で美しいというイメージが心の中に残った。それはまるで何か大きな戦いに勝ったものを祝福しているようだった。また機会があればこの絵を見に来たいと思った。
次に印象に残ったのが、洋画家の小西保文先生が描いた、「窓辺の二人」だ。この作品は、遠くから見ても近くから見ても絵に立体感が感じられ、まるで本当にそこにいると思ってしまう程の威圧感があった。窓枠に手を掛ける女性と、その家の外の壁に背を預け何かを考えているような、何かを待っているような感じの男性。私は、この二人が恋をしているのではないのか?と思った。細かい所までちゃんと描かれており、色の強弱もはっきりしていて凄かった。そして、その場所に不釣り合いであろう看板も二人の魅力を一層引き出しているようにも見えた。
その次に印象が残っているのは、彫刻家の松本鐡太郎先生が作った「ビュンビュン」だ。この作品は、作品自体はシンプルだが、なぜか今にでも空を飛べそうな気分になった。凄くシンプルなのにとても存在感があった。その空間だけが別の空間に居るみたいでとても不思議な気持ちになったのが印象的だった。その空間に一歩足を踏み入れると私も凄い勢いで一緒に飛んでしまうのではないか?と思った。
その次に印象に残った作品が、またまた洋画家の小西保文先生の描いた「ドレスと裸婦」だ。やはりどんなに着飾っていても服を着ているだけでそれを脱いだら、人間皆同じ体なんだ、と。ピアスや指輪、ネックレスや化粧それを取ってしまったら皆同じ。違うのは体型や髪型、あとは性格や顔のパーツなど。体の機能などはほとんどの人間が同じ。そしてこの裸婦はこの後ドレスを着てどこへ向かうのだろう、と思った。いや、もしかしたら裸婦はどこかへ行って帰って来てドレスを脱いだ後かもしれない。そう考えているうちにこの裸婦の事を考えるのが楽しくなってきて、つい時間を忘れ軽く五分間ぐらいこの絵の前に立ち止まってしまった。

私は、この宿泊研修を通して、人には様々な考え方や捉え方、描き方があると学んだ。それは実際に、見たり、聴いたり、体験したからだと思う。プロの先生達に話を聴いて、やはり個人によって色々な考え方、捉え方、描き方があると思った。そして、プロの先生達は本当に優しく接してくれて、自然や美術が好きな人は本当に良い人ばかりだな、と再確認した。七宝焼きや轆轤の体験もそうそう出来る体験ではないので本当に楽しかったし、色々な事を学ぶ事ができた。一番驚いたのは、陶芸では、理科の化学で習う化学式などを全て覚えておかないといけない、ということだった。プロになるということはとても大変で修行も沢山しなければならないと思ったが、自分の好きな事を仕事にして、それをお金にするという事はとても楽しい事だと思った。私も、私の好きな事で働けるような仕事に就きたいと思った。これから大変な事も沢山あると思うが、頑張って自分の未来を想像しながら努力しようとも思った。

私が一番興味を持ったのは小西保文さんの作品です。小西さんの作品は現実の中にありそうな場面で、でも何か現実味がない、一言でいうと不思議だと感じる作品でした。
 私が小西さんの作品で一番不思議に思った事は、人物の表情です。全ての作品で人物の表情が何か抱えているような顔でそこに現実味を感じましたが、ほとんどの作品で人物が同じ表情をしていてそこがとても不思議でした。誰かモデルでもいるのかと思いましたが、人物のモデルはいないらしいです。一番身近にある顔、つまり自分などが絵に多くあらわれるのではないかと小西さんがおっしゃっていて、だから少し人物と小西さんが似ているのかと思いました。
 小西さんが人物画を描く理由は、人間に一番興味があるかららしいです。人間は百人いれば百人の考えや思い、義、常識があって一人ひとりが全然異なる目で世界を見ています。私はそれが面白いと思い、逆に怖いとも思います。一人ひとりが違うから色々な作品ができて、色々な見方ができます。それはとても素敵な事だと思います。
 絵の描き方なんて人それぞれ全然違います。描き方を学ぶ事はできますが、数学の式みたいにそっくりそのまま真似する事なんてできないと思います。だから複数の人が同じ人に描き方を学んだとしても同じ描き方はないのではと思います。誰かに学んだのか、独学なのかは分かりませんが小西さんの絵の描き方は独特で、面白い方法でした。一回描いた絵を塗り潰してしまいます。そうしたら下の絵が浮かび上がってき、画面の中で色々と動く事によって新しい絵ができるらしいです。型にはまった基礎も大切だけど、小西さんのような自分の、新しい描き方にチャレンジする事も大切だと思います。

 自分の道を真剣に考えたら道ができる。この小西さんが言った言葉が私の中で強く残っています。
 

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