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平成18年 美術コース2年生 直島夏期宿泊研修 2006年度 直島夏期宿泊研修に寄せて 美術コース主任  堀江 靖之

 酷暑といった方が良いかもしれない。今年の夏は例年に増して厳しい気がする。昨年までは、香川県の直島に2泊3日の滞在でアートの島、直島を満喫できたのだけれど、今年は宿泊施設の事情で、どうやら行程を変更せざるを得ない様である。海の見える風光明媚な直島でアートに浸らせたい計画が大幅に狂ってしまった。

 頭を悩ませた末、強行スケジュールではあるが、1日目は岡山県倉敷の大原美術館見学後瀬戸大橋の見える鷲羽山で宿泊、2日目はフェリーで香川県の直島にわたり、地中美術館・ベネッセミュージアム・家プロジェクト見学後フェリーで、高松に行き屋島に宿泊、翌日バスで徳島県鳴門市の大塚国際美術館を見学。そして、鳴門大橋を渡り、淡路島を縦断し明石海峡大橋を渡って帰路に就く、瀬戸内海大環状ルートを設定した。


 倉敷の大原美術館では、10人ずつのグループに別れ、4人の学芸員さんに、それぞれ作品についてのコメントを生徒達が会話形式で語り合うおしゃべりプログラムという形式で作品鑑賞を楽しんだ。生徒達は、一つの作品についての見解がそれぞれ違うことと、多様な見方、感じ方があって良いことを改めて学習したようである。

 2日目の直島では、光をテーマにした三人の作家、モネ、ジェームス・タレル、ウォルターデ・マリアのために設計された地中美術館を午前中に見学した。この美術館は、安藤忠雄氏が三人の作家のために手がけた彼自身の作品でもある。異空間を彷徨うような地中美術館は生徒達にとって、大変衝撃であったようで、直後に書かせたレポートには、今までに見てきた美術館の概念が覆ったという文章が多く見て取れた。

 その後、ベネッセ・ミュージアムを学芸員さんの解説で見学させていただき、最後に美術の島である直島の環境を生かした体験型の作品である「家プロジェクト」を見学し、フェリーで高松に向かった。

 3日目には徳島県鳴門市にある大塚国際美術館に向かった。この美術館は私自身も初めて訪れる美術館で、広大な展示スペースに陶版で再現された至宝の西洋名画1000余点が展示されている。当初は所詮レプリカであるという先入観で観賞していたが、実際目の当たりにすると、その充実した点数と忠実な再現技術に圧倒され言葉をなくした。特にシスティーナ礼拝堂・スクロベーニ礼拝堂の環境展示や、ミケランジェロの最後の晩餐の修復前と修復後の作品など、日本に居ながらにして世界の美術館体験ができるのである。それゆえに、とても1日では展示室すべてを回ることができないという生徒の声が圧倒的であった。

 3日間で瀬戸内海を大きく周回する3ヶ所の美術館巡り、私の欲張りな性格のせいで、生徒達にはかなりの負担になったかもしれないが、研修のレポートを読み終えると、「疲れたけれど、忘れられない研修になった。」等々、今回の研修が彼女達と我々教員にとって多くの財産を残してくれた事を確信した。




直島 地中美術館
2年5組17番 阪口 桃香

 直島に着いて、まず始めに行った地中美術館。私の中で、今回の研修旅行で一番楽しみにしていた美術館だ。安藤忠雄によって建てられたその美術館は、その名のとおり地中の中にあり、本当に自然との一体感が感じられた。

 入館してまず見たのはジェームズ・タレルの『アフラム・ペール・ブルー』だ。壁に映された光が型を作り、光の加減のせいか、その光の部分はまるで壁ではなくそのまま抜けているように思えた。そんな不思議な感覚にさせられる彼の作品たちは、どれも私を魅了した。
次に見た『オープン・フィールド』はこの地中美術館の中で一番印象に強く残っている。初め、入ったときはただのスクリーンだと思っていた青の中に入っていく。人が入っていくのを見ていたけれど、まるで絵の中に吸い込まれていくような感じだった。青の光の中は煙があるわけでもないのにモヤがかかったように見え、奥は果てなく続いているように思える。一緒に入っていた人も、ふわりと消えてしまいそうに見え、目に見えるもの全てが夢のようだった。奥に入り後ろを振り向くと、そこはまた別世界で、色の対比からか初めに入った部屋がオレンジに発光して見えた。片口先生によると、四角になっている入口の枠部分に傾斜があるため境目がはっきりと見えるそうだ。そのためか、入口下部の傾斜のない所ははっきりせず、ぼんやりと見えた。思わず二回も入ってしまう程魅了してやまなかった『オープン・フィールド』は最も好きな作品だ。

 ジェームズ・タレルの作品はもう一つあった。『オープン・スカイ』だ。一つの部屋のようになっていて、天井は無く、四角く空が見えている。今日の天気は快晴でその四角には青空が広がっていた。まるでその四角がキャンパスで、青空が描かれているようだった。暑かったけれど、部屋の壁沿いに設けられたコンクリートのイスに座ると、ひんやりと気持ちが良く、熱を逃がしてくれた。堀江先生に薦められてイスに寝ころぶと見え方が全く違い、これもまた気持ちが良く、夢心地でうっかり寝てしまいそうになった。

 ジェームズ・タレルの作品たちを見終わった次に見たのはウォルター・デ・マリアの『タイム/タイムレス/ノー・タイム』だ。階段でできたその部屋は教会のようにも思えるような、神秘的な空気が流れていた。階段の中央にどっしりと置かれた石球。部屋の全てが映り込む石球に天井の窓から見える空も映り込んでいて綺麗だった。恐らく、時間が経つにつれて光の陰は移り、光の加減も全く違って見えるんだろう。出来ることなら、時間を忘れてその場に居たいくらいだった。
 最後に見たのはクロード・モネの部屋だった。入った瞬間、目に飛び込んでくる横長の作品『睡蓮の池』。深く、幻想的な色使いに吸い込まれそうになった。中心にピンクや紫が使われていて、池なのに不思議な色あいだった。そして部屋は壁の角が丸みをおびていて、白塗りなせいか壁が感じられなかった。どこまでも奥に続いている、部屋自体も不思議な空間になっていた。
 
 噂に聞いていたとおり、いくら見ても飽きないくらい展示されている作品たちも建物も今まで感じたことのないくらいの感動があり、他の美術館では得られないような何かしらのものを得られたと思う。また機会があれば、何度でも、何時間でも行き、過ごしたい。そして、今日のこの機会を与えてくれた先生方に深く感謝したい。




大塚国際美術館
2年5組33番 平瀬 香菜

 写真を撮ってもいい美術館。これにはビックリした。モネの大睡蓮は触っても良いのだ。今回の宿泊研修では、どこの美術館も個性の強い作品が多かった。しかしここまで驚くことになろうとは、夢にも思わなかった。
 有名な絵も沢山展示されていた。べラスケス、ディエーゴの、「ラス・メニ-ナス(女官たち)」は、画家が何を描いてあるかについて述べられていたが、私は、鏡に写った夫婦画があっていると思う。鏡に写っている夫婦が、普通あんなポーズはとらないからである。まるで肖像画の様である。肖像画の中で特に目を引いたのは、彼の有名なリゴー・イアサントの、「ルイ14世の肖像」である。ロココ時代、国王の権力のほどがよく分かる。この絵の裏では民の苦痛や叫びが滲み出ているのであろう。
 この美術館で私が一番気に入ったのは、ヴェロネーゼ、パオロの、「ヴィーナスとマルス」である。描き方、構成、色味、表情、サイズ共に全てマッチしておりロマンティックに仕上がっているのだ。足もとでは、キューピッドがリボンでカップルの足をつないでいるのだ。愛の女神と理想的カップルである。次に興味そそる絵は、コレッジョの、「ユピテルとイオ」である。ユピテルが妻ユノの目を盗んで、これはと思う女性イオに雲になって近ずくというシーンの作品である。イオの恍惚とした姿がとても愛らしく感情移入してしまいそうになる。他にも、バルデス・レアール、フアン・デの、「世の栄光の終わり」は、この世の富や栄光や快楽の虚しさを諭す、「ヴァ二タス画で、上の方の天秤には、「悪徳」と、「美徳」という文字が書かれており、“これ以上でもこれ以下でもない”という意味が込められているのだ。下では、骸骨と化した法王がミイラの様になって死んでおり、それを虫が食べているのだ。画家がこの絵で訴えているのだ。
 この様に、画家たちが絵に込めた意味は深く、また果てし無い。それは美であり、画家の権利でもある。まだまだ奥が深い絵に圧倒され、背負わされる、そんな気分がした。




大原美術館を見学して
2年5組12番 川口 洋子

今日のおしゃべりプログラムは、いつもの美術展見学と違って、たった30分だけど、今までと絵の見方が少し変わった。
おしゃべりプログラムで学んだ事は、絵には、答えがなく、他の人のその絵の見方を聞く事で、また絵の見え方が変わってくるので、友達などと意見を述べ合って見る事は、とても良い事だという事でした。そして唯一答えがあるとすれば、その絵を見た人全員が共通した認識を持つ、「作者」と「題名」と描かれた年だけだという事です。
レオン・フレデリックの「万有は死に帰す、されど神の愛は万有をして蘇らしめん」は、左端に人が皆死んで神が悲しんでいるところから真ん中は、死んでいる人や蘇った人など、右端は、神が皆を蘇らし、花も咲き喜んでいるという絵で、作者は左から右へと、目を移すように描いたものだが、題名を聞く前にどちらから見る絵だと思うか、聞かれると、ほとんどの人が右から左だと思っていた。その理由も色々あって、「右端の方が明るく、目に付いたので、そこから左に目を動かした。」などで、同じ意見でもその理由や内容も違ってくる。それは、自分にはなかった意識で、それを聞く事によって色んな事に気付かされる。
また、色々な見方があっても、絵の中のちょっとした要素や題名で、いろんな発見があり、それによって、ある程度定まることもある。児島虎次郎の作品は、絵によって、描き方が全然違う。だから作者名を見るまで、同じ人が描いたとは分からなかった。でも、作者名を見て、同じ人だと分かると、確かに、いくつかの作品は、描き方が違っても、同じような、ゆったりとしたやさしい雰囲気がある。ヘルベルト・アルノルトの「幻影」も、題名を見る前は、真ん中の光に照らされている女の人が主役かと思ったが、題名を見ると、その女の人達が幻影で、端の男が居眠りしている時のその幻影が現れているが、きっと、幻影は、男が目を覚ますと、きっと消えてしまう。でも影で寝ていた男にも、何かちょっとした幸せがおとずれそうだなと思った。こんな風に、「作者」や「題名」を知るだけで、知らない時より、色んな事が分かり、その絵に対する思いも変わってくる。
だから、その絵だけを見た時の印象、他の人の印象も、その絵に「作者」、「題名」という答えを加えて見た時の印象は両方大切だと学んだ。



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